知識論 山田 肖子
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本書では、知識を『一定の目的と判断を伴って関連付けられ、論理的に構成された情報』と捉えている。 前節で「言説」の形成について述べた。言説とは、集団の中で共有化される知識の生成過程と言ってもいいだろう。昨今では、この言説が、明確な意思のないクラウドによって生まれてしまうことが少なくないことを指摘したが、本書の定義によれば、それは、個人にとっては情報に過ぎず、知識はなっていない。それにもかかわらず、不特定多数のクラウドにおいて、こうした漠然とした傾向性を持った情報群が知識として認知されてしまうことがある。知識として認知されたものは社会的に意味を持ち、その知識を前提とする社会構造を生み出していく。ミシェル・フーコーが分析した 「狂気」の定義が、やがて「狂人」を隔離する制度や施設という形を取ったように。 https://gyazo.com/5e99829cebc7325fa1a2cb4ce6e58eeb